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メモ 2013.10.10~

「誤った日本語」について調べてみます。

1-8「肯綮を得る」の用例

「的を 得る/射る」の類義表現で、「肯綮に 当たる (中る) 」という言い回しがあります。『日本国語大辞典』第2版 第5巻 (小学館 2001年 p.255) によれば、肯綮の「肯」は「骨についた肉」、「綮」は「筋肉と骨とを結ぶところ」を指すそうです。そして、「料理の名人の庖丁 (ほうてい) が梁の恵王の前で牛を料理した時、うまく肯綮に刃物をあて、肉を切り離したという「荘子‐養生主」の故事」から、「肯綮」は「物事の急所。かんじんなところ。かなめ。」を意味するようになったということです。

こうした由来から考えれば、「肯綮」に続く言い方は「~に当たる (中る) 」になるはずです。しかし調べてみると、「肯綮を得る」という言い方もかなり古くから使われています。これは、「肯綮」の原義 (元の意味) が薄れていって、「物事の核心・肝心なところ」という、抽象的な意味合いが強くなっていったからでしょう。

同様の現象が「的を得る」にも起きているとは言えないでしょうか。つまり、「的」が原義 (矢を当てる目標) から抽象的な意味 (物事の核心) へと変わっていった結果、「的を得る」という慣用表現が定着していったのではないか、と考えることもできるわけです (『デジタル大辞泉』の「的」の項には、「物事の核心」の語義が載っています) 。

ただ「的」は、「肯綮」や「正鵠」と比べると、「物事の核心」の意味で使うにはやや定着度が低いとは思います。例えば「議論の 正鵠/肯綮」といえば「議論の核心」のことだろうと思いますが、「議論の 的」となると、「議論の 対象・ターゲット」と理解するのが普通でしょう。

「的を得る」が「正鵠を得る」よりも容認度が低いのは、こうしたことが原因にあるのかもしれません。

以下に、1856年から1945年までの「肯綮を得る」の用例を挙げてみます。

※用例・文献の引用方法について

1856年

凡ソ書ハ肯綮ヲ得ルヲ貴フ。肯綮ヲ得スシテ雜博ナレハ。本意益々暗ム者ナリ。

(吉田松陰『講孟箚記 下』講孟箚記同好会 国立国会図書館デジタルコレクション6コマ目 右頁1行目) [1934年 刊]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1135966/6
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1873年

美爾(ミル)ノ論ノ如キ、眞ニ肯綮ヲ得ル者ト謂フベシ。

(西周「生性發蘊」『西周哲学著作集』岩波書店 p.82 15行目) [1933年 刊]
http://books.google.co.jp/books?id=KWvhIs576iUC&hl=ja&pg=PA82#v
Googleブックス (http://books.google.co.jp/) より

 

1900年

藤樹は王學の立脚點より神道を解釋し、能く其肯綮を得たり、

(井上哲次郎『日本陽明学派之哲学 』富山房 p.149 7行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/754798/83
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1902年

凡そ露人の論議として肯綮を得たるもの少なからすと雖とも、此の如く單なる淸國と單なる露國との攻守を論したるものは多からす。

(巽来治郎『日清戦役外交史』東京専門学校出版部 p.191 12行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991475/104
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1907年

〔前略〕Haddonの說は單に圖案模樣に於て肯綮を得たるのみならず、移して以て一般の推移を說明するに足る。

(夏目漱石『文学論』大倉書店 p.580 最終行)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/871770/309
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1910年

〔前略〕博士(はくし)家康(いへやす)旗持(はたもち)本多輩(ほんだはい)俗論(ぞくろん)感服(かんぷく)し『(じつ)肯綮(かうけい)()たりと()ふべし』といへり。

(福本誠『直江山城守』東亜堂書房 p.179 4行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781081/102
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1920年

其の會〻之を解雇することあるは卽ち平常の賃銀の不充分を立證するものではないか、と云つて居るのは、誠に肯綮を得た言である。

(河合栄治郎『労働問題研究』岩波書店 p.481 6行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980903/254
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

※p.339とp.565にも用例あり。

 

1925年

評賞の最も肯綮を得てゐるのは、畵徵錄と桐陰論畵とを推す。

(大村西崖『東洋美術史』図本叢刊会 p.458 最終行)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1017637/238
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1929年

しかし、吾々がその『マルクス主義』を、渡邊氏が書いてゐる雜誌『マルクス主義』のことゝ解しさへすれば、敢て我が日本におけるマルクス主義の「窮乏」をなげく必要もなく、渡邊氏の說く所も亦たほゞ肯綮を得たことになる。

(猪俣津南雄『現代日本研究 ―マルクシズムの立場より―』改造社 p.310 5行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268722/168
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1937年

〔前略〕やはり帝國主義(ていこくしゆぎ)本質(ほんしつ)(もつ)資本蓄積過程(しほんちくせきくわてい)政治的表現(せいぢてきへうげん)といふことは肯綮(こうけい)()てゐない。

(星野辰男 [編]『朝日時局読本』第7巻 東京朝日新聞社 p.49 10行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1261475/36
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1937年

これらの言葉は總て實情實理であつて、悉く肯綮を得て居る

(『支那土地問題に関する調査資料』南満洲鉄道調査部 p.838 8行目)
http://books.google.co.jp/books?id=9iqDaIZD5GwC&hl=ja&pg=PA126-IA26#v
Googleブックス (http://books.google.co.jp/) より

 

1939年

タゴールの論には種々なる誤謬もあるけれども、併し其の論旨の大體は肯綮を得て居ると云ふべきである。

(井上哲次郎『東洋文化と支那の將來』理想社出版部 p.6 13行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1900521/15
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1945年

〔前略〕「この棄敎者は足に踏ませてキリシタンを發見するために十字架を偶像の寺の敷居に置いた」 (吉田小五郎氏譯文に據る) とパジスが記述したのはまづ肯綮を得たものと解せられよう。〔括弧内は割注〕

(西村貞『日本初期洋画の研究』全国書房 p.17 6行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069050/14
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

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久御山