「肯綮を得る」は、かなり古くから使われています。これは、「肯綮」の原義が薄れて抽象的な意味合い(「物事の核心」の意)が強くなっていったからでしょう。同様の現象が「的を得る」にも起きているとは言えないでしょうか。
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