メモ 2013.10.10~

「誤った日本語」について調べてみます。

1-2「的を失す(失う)」の用例

次に、「的を得る」の対義表現である「的を 失す/失する/失う」の用例を、近年のものから順に遡って採集してみます。ちなみに、『日本国語大辞典』第2版 (小学館 2000ー2002年) には、これらの表現の項目がありませんでした。

※用例・文献の引用方法について

 2010年

しかしここまで述べてきたところからも分かるように,ロクシンの趣旨は「処分よりも制裁の方がリベラルな法形式だ」という点にあるから,この批判はかなり本質的な点で的を失していると思われる。

(小林憲太郎「刑罰に関する小講義 (改) 」『立教法学』第78号 立教法学会 p.399 5行目)
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007571633 (リンク先にPDFファイルあり)
国立情報学研究所 CiNii Articles (https://ci.nii.ac.jp/) より

※他に3例あり (p.392 26行目、p.382 28行目、 p.363 31行目) 。

 

2001年

その意図を筆者がこう要約しても,さほど的を失していないと考えられる。

(玉井克哉「アメリ特許法における権利消尽の法理 (2) 」『パテント』第54巻 第11号 日本弁理士会 p.37 左段21行目)
http://www.ip.rcast.u-tokyo.ac.jp/tamai/files/b14.htm (リンク先にPDFファイルあり)
東京大学 先端科学技術研究センター 知的財産分野 (http://www.ip.rcast.u-tokyo.ac.jp/index.htm) より

※2014年4月21日現在、上記サイトにアクセスできない状態になっています。

 

1997年

また、惣町レベルでの祭礼に限定されることも、分析視角と問題関心に由来するもので、そのことを疑問視するのは的を失した論になるかもしれない。

(金森正也「近世都市祭礼の展開 ―一地方都市に於る祭礼の諸相―」『弘前大学國史研究』第102号 弘前大学國史研究会 p.43 下段15行目)
http://hdl.handle.net/10129/3169 (リンク先にPDFファイルあり)
弘前大学 学術情報リポジトリ (https://hirosaki.repo.nii.ac.jp/) より

 

1988年

ただし,これはケインズ自身が相対賃金仮説によって意図したものとは異なり,的を失している。

(中西泰之「高田保馬 : 一般均衡理論と硬直賃金 ―ケインズと勢力経済学の理論・政策・社会学―」『經濟論叢』第141巻 第4-5号 京都大學經濟學會 p.246 17行目)
http://hdl.handle.net/2433/134234 (リンク先にPDFファイルあり)
京都大学 学術情報リポジトリ (https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/) より

 

1987年

以上が,オッペンハイマー=高田のマルクス批判であるが,この批判は的を失していると言わざるをえない。

(中西泰之「高田保馬の人口理論と社会学」『經濟論叢』第140巻 第5-6号 京都大學經濟學會 p.284 19行目)
http://hdl.handle.net/2433/134216 (リンク先にPDFファイルあり)
京都大学 学術情報リポジトリ (https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/) より

 

1983年

喜多野先生の同族論では主従関係が軽視されているとの批判は、その意味では的を失しているといわねばなるまい。

(住谷一彦「喜多野清一先生の社会学 ―先生の訃を悼みて―」『研究通信』第132号 村落社会研究会 p.29 上段12行目 ) [PDFファイル4枚目]
http://sonken.adam.ne.jp/number/138.html (リンク先にPDFファイルあり)
※日本村落研究学会「研究通信」データベース (http://sonken.adam.ne.jp/index.html) より

 

1981年

「人生との闘いを断念した」というThurley自身の批評ですら,その的を失って宙に浮いてしまう。

(後藤明生「W.H. Andenと「劇化」 ―現代詩と批評に関するノート―」『横浜国立大学人文紀要 第二類 語学・文学』第28輯 横浜国立大学教育学部 p.29 9行目)
http://hdl.handle.net/10131/2722 (リンク先にPDFファイルあり)
横浜国立大学 学術情報リポジトリ (https://ynu.repo.nii.ac.jp/) より

 

1979年

この問題点の指摘については今日でもさほど的を失しているとは思わないが,ただ柳田の場合に比して河上の国家論を「単純明白」と断定しながら,その所以の説明についてはきわめて不十分であったことは認めざるを得ない。

(住谷一彦「河上肇の「国家論」小考 ―「政治学講義」草稿について―」『經濟論叢』第124巻 第5-6号 京都大學經濟學會 p.273 13行目)
http://hdl.handle.net/2433/133798 (リンク先にPDFファイルあり)
京都大学 学術情報リポジトリ (https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/) より

 

1974年

こうしたザリーン流の非難こそ逆に文字通りマルクスの「暫定的な学説」を〔歪めて〕石化したものであることを確認すれば,彼の問題にする「合理的理論」と同列に置かれた「マルクスの恐慌論」なるものへの的を失った議論にこれ以上掛かり合う必要はない。

(小沢光利「「典型的循環」の起源 ―A.シュピートホフの経済変動論の方法的特質―」『北海道大學經濟學研究』第24巻 第4号 北海道大学經濟學部 p.178 9行目)
http://hdl.handle.net/2115/31304 (リンク先にPDFファイルあり)
北海道大学 学術成果コレクション (https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/index.jsp) より

 

1965年

究極の価値決定において〝科学は無力だ〟というのは、――科学批判としては的を失しているとしても――こうした一面では当っているといってよいだろう。

(小林直樹「基本権への原理的視角 ―人権研究の序説として―」『日本国憲法体系』第7巻 有斐閣 p.47 4行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2996069/28 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

※上記引用箇所の直前に、「〔前略〕実践や信仰の形而上学的な正当化の試みを科学に求めるのは的はずれだといわなければならない。」という記述あり。

 

1953年

かくして既に共同経済的生産性なる目的が設定せられる以上、技術論に対する初期の非難は、少くとも表面上はその的を失うに至るのである。

(古林喜樂「シュマーレンバッハの經營學方法論上における地位」『國民經濟雜誌』第88巻 第5号 神戸大学経済経営学会 p.85 1行目)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000003kernel_80040217 (リンク先にPDFファイルあり)
神戸大学 学術成果リポジトリ (http://www.lib.kobe-u.ac.jp/kernel/) より

 

1948年

その點で、アッシュレーやセー (Sée) のマヌファクテュアに關するマルクス批判はまさしく的を失している。

(石濱知行『資本主義成立史』河出書房 p.283 7行目)
https://books.google.co.jp/books?id=GBzlDp9LPZoC&hl=ja&pg=PA297#v
Googleブックス (https://books.google.co.jp/) より

 

1937年

それで色々な建築に對する色々な批評をきくのでありますが、私の知つてゐる範圍ではピッタリ正鵠に當つた批評を聞いた事がない。殆どすべてが急所を外れてゐる、的を失つてゐるのであります。

(伊東忠太「南山荘夜話 ―建築批評論から建築論を通じて建築針路論へ―」『伊東忠太建築文献』第6巻 龍吟社 p.506 上段1行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1834719/282
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1937年

以上第一章以降第三章に亙つて詳叙せる事實は、我が勞働條件が、歐米に比し何故に低位であるかの根本事情であるが、是等の諸點だけを公平に考慮するのみで、我が低賃銀に對する歐米人の非難が如何に的を失し、如何にその責任の所在を錯覺してゐるかを、誰しも看取せざるを得ないであらう。

(高橋亀吉日本産業労働論』千倉書房 p.62 本文1行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463430/42
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

※p.5に「的を射」、p.10とp.21に「正鵠を得」の用例あり。

 

1936年

以上私は門外漢として、ありの儘の讀後感を述べた、從つて時としては的を失したる如き言もなしとはしないであらう。

(岩井茂「「外國貿易 英語通信文の書方」讀後感」『商工經濟研究』第11巻 第3号 高松高等商業学校商工経済研究室 p.93 6行目)
http://shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/metadata/4002 (リンク先にPDFファイルあり)
香川大学 学術情報リポジトリ (http://shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/) より

 

1936年

―― 一寸註記するが、この批評は的を失してゐる。

(南亮三郎『人口論発展史』三省堂 p.109 11行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268131/62
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1934年

併し之は先きにも述べたるが如く對外的貨幣價値の概念規定が不充分なことより生ずるものにして、若し吾人の如く對外的貨幣價値は爲替相塲のみならず相手國の一般物價を考慮に入れたものと解するときはミユーレンフエルスの此の非難は的を失ふことゝなる。

(岩井茂「日附貨幣の批判的研究」『商工經濟研究』第9巻 第3-4号 高松高等商業学校商工経済研究室 p.50 9行目)
http://shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/metadata/4073 (リンク先にPDFファイルあり)
香川大学 学術情報リポジトリ (http://shark.lib.kagawa-u.ac.jp/kuir/) より

※ p.32 5行目に「的を外れたる論爭」という記述あり。

 

1934年

露西亞を語るに就ては常に帝政時代の露西亞を念頭から去つては的を失すると思ふ。

(河合栄治郎『欧州最近の動向』 日本評論社 p.433 6行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1454037/227
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1934年

社會主義としての自由主義を信ずるものに對して、原型としての自由主義に對する批判を加へるも、それは的を失した批判でなければならない。

(河合栄治郎『フアツシズム批判』日本評論社 p.412 2行目) [1937年 第3版] http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1712287/217
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1934年

そこで合理局案が若し英國の表示形式に做ふことに、その動機があつたとすれば聊か的を失した嫌がある。

(長谷川安兵衛『株式会社会計』東洋出版社 p.187 10行目) [1938年 第14版]  https://books.google.co.jp/books?id=7OX3NV1u990C&hl=ja&pg=PP207#v
Googleブックス (https://books.google.co.jp/) より

※序文に「的を射」の用例あり。

 

1934年

足下の論は全く的を失つてをる阿つて曲解したのか、論理を知らないのか、『其穉氣憫むに堪えたり』。

(松永材「『儒敎の忠に就て』を讀んで」 『國學院雜誌』第40巻 第12号 國學院大學 p.64 11行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3365126/36 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

※同ページに「足下の論は少しも的に中らない。」という記述あり。

 

1932年

即ち本邦石鹼工業史上に一時代を劃せる彼の浮石鹼は實にアイヴオリーの輸入に其の緖を開くに至つたと云ふも强ち的を失したる獨斷とは云へないであらう。

(島田義照『日本石鹸工業史』 大阪石鹸商報社営業所 p.206 4行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213205/111 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1930年

しかし形態說の主張は、硏究が進むに從つて種々の方面に擴大され、且つ少しづゝ變形されて行くので、部分的の疑問も漸次に變化して行くのは當然で、リニャノの批判も、今日では多少的を失した所もあるが形態說の完成への道程を知る上に極めて價値があると言へる。

(久保良英『形態心理学』 中文館書店 p.318 7行目)
https://books.google.co.jp/books?id=CvAf55EmnyEC&hl=ja&pg=PP352#v
Googleブックス (https://books.google.co.jp/) より

 

1929年

我國のマルクス主義者(しゆぎしや)は特にさうであるが、一體にマルクス主義者は批判的でなく、他人の()ふところを在りの儘に理解(りかい)しようとしないが、批判的觀念論(ひはんてきくわんねんろん)に對する今の非難の如きも亦、その的を失した非難の例の一つであらう。

(土田杏村『時事問題講座 9 思想問題』 日本評論社 p.163 7行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1271957/91
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1924年

今博士の所論を以て貨幣價値の成立、博士の所謂媒介價値の成立を說くものであると解するに於ては余の論難は的を失したるものであるとは斷じて信ずるを得ない。

(土方成美「貨幣槪念に付て」『思想』第32号 岩波書店 p.372 12行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3198736/33 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1924年

この點において私は勝田氏の營利經濟對厚生經濟の論旨をもつて的を失つたものであると考へる。

(福田敬太郎「經濟的豫見論について ―勝田貞次氏に應ふ―」『經濟學商業學國民經濟雜誌』第36巻 第3号 神戸高等商業学校 p.383 6行目)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00053634 (リンク先にPDFファイルあり)
神戸大学 学術成果リポジトリ (http://www.lib.kobe-u.ac.jp/kernel/) より

 

1923年

其方法論は少くも抽象的學派に對抗せんとする限り、そは經驗的事實、換言すれば科學の材料を如何にして整序し、獨立したる科學を構成すべきやにあるので、前揭論者の反對論は的を失してゐると云はねばならぬ。

(山口正太郎「歴史派經濟學發逹の徑路 (一) 」『經濟論叢』第17巻 第1号 京都帝國大學經濟學會 p.91 7行目)
http://hdl.handle.net/2433/128044 (リンク先にPDFファイルあり)
京都大学 学術情報リポジトリ (https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/) より

※p.90に「乍然此非難は少しく當を失してゐる、」という記述あり。

 

1922年

〔前略〕此の點に於ける阿部氏の逆襲は、(いささ)的を失してゐる。

(竹内仁「再び阿部次郎氏に」『現代日本文学全集』第94巻 筑摩書房 p.212 下段10行目) [1958年 刊]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1668521/111 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

※初出は『新潮』大正11年4月号 (内容未確認) 。

 

1921年

是は全く非難の的を失して居るものである。

(美濃部達吉『時事憲法問題批判』 法制時報社 p.41 10行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968747/28
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

※p.94に「正鵠を失せる」、p.120に「當を得て居る」、p.200に「正鵠を得たる」の記述あり。

 

1920年

サボタージュは労働運動の一の武器として生れて来たもので、男らしいとか、女らしいとか、陰険だとか、怯懦だかというような、的を失れた批難を加えうる底のものではない。
〔「神戸大学附属図書館 新聞記事文庫」のテキストデータより引用。原文と表記の違いあり。「(うしな)れた」は、「失はれた」あるいは「失つた」の誤植でしょうか〕

(海野幸徳「電車従業員の怠業」『横浜貿易新報』1920年3月3日付 画像データ1枚目 最下段22行目)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00794088&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1
神戸大学附属図書館 新聞記事文庫 (http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html) より

 

1919年

左れば元老院議員諸氏の反対論は肯綮に当らず的を失したる一種の空想論に過ぎず
〔「神戸大学附属図書館 新聞記事文庫」のテキストデータより引用。原文と表記の違いあり〕

(「日本主義弁護」『時事新報』1919年4月15日付 画像データ1枚目 最終段35行目)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?LANG=JA&METAID=10129256&POS=1&TYPE=IMAGE_FILE
神戸大学附属図書館 新聞記事文庫 (http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html) より

 

1908年

大臣カ地位ノ保障ヲ有セサルコトヲ以テ其ノ懲戒裁判タルコトヲ非認セントスルカ如キハ全ク非難ノ的ヲ失スルモノナリ。

(美濃部達吉憲法憲法史研究』 有斐閣書房 p.244 10行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991332/129
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1893年

憾むらくは二君未だ余の眞意を探る能はず論難する所一に誤解に基かざるなきを、既に的を失するの駁論豈敢て之を甘受するを得んや、玆に一言を費して意の存する所を明かにしニ君の誤りを矯めざるべからず、

(水谷甚ニ「貨幣新策の眞意を再說して駁論者の誤解を正す」『東京經濟雜誌』第28巻 第686号 経済雑誌社 p.202 上段17行目) 
※2016年6月10日追記:「日国友の会」に投稿済 (こちら)

※1983年刊行の日本経済評論社による復刻版より引用しました。

 

「的を失」は、少なくとも19世紀末から使われていることが分かりました。この表現は、現代まで途切れることなく使われ続けています。ただし、それほど使用頻度の高い言い方ではないようです。今回採集した限りでは、「細く長く使われている表現」という印象を持ちました。

また、「的を失」と「的を得」が同一の筆者によって使われている例があってもよさそうなものですが、近年のものはいくつかあったものの、古い文献での使用例は見つかりませんでした。

下に2011年の例を1つ挙げておきます。

2011年

拙稿が,これまでの多くの先行研究に加えて,羯南が漢詩の中で吐露した自分の持ち味についての自負の念が,決して的を失した者ではないこと,引いては,彼の国民主義思想の中に,思考法上の曖昧さと無主義を指弾する彼と同時代人の見方,そして,昭和前期の超国家主義の先駆・源流を読み取ろうとする昭和後期以後の研究者の中にある見方が必ずしも,的を得た者でないことを証明するために,改めて,何らかの寄与を成し得ているとすれば幸いである。

(山本隆基「陸羯南における国民主義の制度構想 (十・完) 」『福岡大学法学論叢』第56巻 第2-3号 福岡大学研究推進部 p.264 15行目)
http://id.nii.ac.jp/1316/00001388/ (リンク先にPDFファイルあり)
福岡大学機関リポジトリ (https://fukuoka-u.repo.nii.ac.jp/) より

久御山