「汚名挽回」の用例 (19世紀末~)
先日 (2014年5月1日) 、『三省堂国語辞典』編纂者の飯間浩明先生が、ツイッターで「「汚名挽回」は「汚名の状態を元に戻す」と考えられ、誤用ではない」とお書きになり、話題になりました。
http://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/461845102835429376
今回は、この「汚名挽回」の問題を急遽取り上げてみることにしました。ただ、まだ十分に情報が集まっていないので、今回は用例をいくつか列記するに留めます。
古い用例について
「汚名 (を・の) 挽回」の古い用例は、今のところ以下のものが見つかっています。
1883年
如斯ニシテ焉ソ越後腐米ノ汚名ヲ挽回スルヲ得ンヤ
(『第二回新潟縣農談會日誌』新潟縣勸業課 p.94 2行目)
https://books.google.co.jp/books?id=XPOoPdVqTFkC&hl=ja&pg=PP98#v
1898年
(板垣鉾太郎「現今華族上流社會の矯風を望む」『婦人新報』第14号 婦人新報社 p.19 下段最終行)
※『復刻版 婦人新報』第8巻 (不二出版 1985年) より
1899年
夫から先刻申しました下總の極く良い茶を持つて行くと是は八王子ぢやと云ふ、ナニ是は下總の一番良いのぢやイヤ是は八王子ぢや下總で斯んな良い物が出來るものか、夫程までに信用といふものは恐しいものであります、今に下總は其汚名を挽回することが出來得ませぬのでごさいます、
(大谷嘉兵衛「輸出貿易ニ就テ」 [演説] 『第三回關東區實業大會報告』 第三回關東區實業大會事務所 p.143 9行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801290/77
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
1908年
玆に於てか茂平太は大に苦慮し、如何にかして此汚名を挽回せんものと百方畫策し、〔後略〕
(『蚕業大辞書』勧業書院 p.213 最終段 「おはるだね【御春種】」の項)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/840624/167
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
1925年
國技を戰はして再度の敗辱を爲し、時運も怪我も口實たらしむる能はざるに至れる彼外人は爾來焦心煩意、日夜汚名の挽囘に是れ努め、七月四日獨立祭に決戰を挑みぬ、
(『向陵誌』 第一高等学校寄宿寮 p.656 9行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940516/393
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
1931年
彼の意中には德川氏なく、主家なく、唯々遠大な雄圖心があるのみだつたが、義を重んする彼は、幕末當時に於て、幕府の困窮、幕臣の不肖、列藩の不利をみて、寃を雪ぎ汚名を挽回すべく奮鬪したのである。
1931年
此の後は身を粉にしても石に嚙りついても今日迄の汚名を挽囘し、喰ふだけの働きさえ出來得ればほんとに幸なるかなである。
(田中千代子『ドン底線』 臺灣實業界社 p.127 1行目)
※『植民地社会事業関係資料集 台湾編』第30巻 (近現代資料刊行会 2001年) より
※これは著者自身の文章ではなく、ある元受刑者が保護施設へ入る際に書いた誓約書を、著者が引用したものの一部です。著者は引用の後、「この文體は原文のまゝである。彼は口には中學三年を修業したと云つてゐるが、文體や書體からして押せば、どうやら怪しいものであつた。」と書いています。
1936年
(吉川英治「宮本武藏 後篇 [44] 」『朝日新聞』東京版 1936年11月3日付 夕刊 6面)
※朝日新聞社 記事データベース〈聞蔵 II ビジュアル〉より
※青空文庫でも確認できます (下記URL参照)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001562/files/52399_49787.html
1936年
同團は村長佐瀨三五郎氏が團長に、小學校長大澤孝平氏が副團長に
〔太字の強調は原文による〕
(「負債村の汚名を雪ぐべく 八生村壯年團活躍 千葉縣下壯年團狀況」 『壯年團』第2巻 第9号 壯年團中央協會 p.50 最下段)
※『近代社会教育史料集成1 復刻版 壯年團』第2巻 (不二出版 1985年) より
1940年
此等は皆戰傷等の爲抵抗力を失ひたる間に捕獲せられたるものにして表面上何れも俘虜となりたることを畢生の恥辱とし汚名の挽囘を誓ひ居る狀況なり。
(「自昭和十四年一月 至同十五年三月 北支に於ける中國共産黨 (軍) の策動と將來に對する觀察」『思想月報』第76号 司法省刑事局 p.104 12行目)
※『昭和前期思想資料』第1期 (文生書院出版 1973年) より
1942年
同艦型はアリゾナとペンシルバニヤの二艦だが、アリゾナはハワイのわが特別攻撃隊の夜襲に止めをさゝれて覆沒してをり、ペンシルバニヤまた同海戰に破摧されてゐたもの、その後半歳餘の間に大慌ての修理を急ぎ復舊なるや、汚名挽回のため小癪にも出撃して來たのだ。
〔海軍黒潮会員 石口基・記〕
(『大東亜戦争海戦史 緒戦篇』 毎日新聞社 p.307 15行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062912/161 (国立国会図書館内限定公開)
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
次に「汚名返上」の古い用例を見てみます。こちらは、現段階では1939年より古いものは見つかっていません。
辞書の記載例・有識者による使用例
「汚名を挽回」が辞書の語釈のなかで使用されている例がありました。
1975年
な を 雪 (そそ・すす) ぐ 汚名を挽回する。名誉を回復する。
(『日本国語大辞典』初版 第15巻 小学館 p.125) [1978年 第4刷]
※第2版 第10巻 (2001年) の同項 (P.4) では「汚名を返上する」になっていました。
2001年
そこで私は考えた。第二高等学校の入試に失敗した汚名を
(鎌田正『大漢和辞典と我が九十年』大修館書店 p.74 5行目)
上記用例について
上の用例は、「汚名返上」よりも「汚名挽回」の方が歴史が古いこと、あるいは「汚名挽回」の方がより高い頻度で使用されていたことを立証するものではありません。たまたま「汚名返上」の用例が私の目にとまらなかっただけかもしれないからです。
ただ、一般に流布している、「〈汚名返上〉と〈名誉挽回〉の混交から〈汚名挽回〉が生まれた」とする説には疑問を感じています。
id:Hachi さんのブログ記事「「汚名挽回」の誤用指摘 その2」にある、「青空文庫」と「神戸大学附属図書館 新聞記事文庫」を使った調査によると、「汚名挽回」「汚名返上」「名誉挽回」のいずれも、戦前の使用例はほとんど見つからないという結果が出ています。また、明海大学教授・佐々木文彦先生の「言葉の誤用再考 ―汚名挽回を例に―」 (『明海日本語』第9号 明海大学日本語学会 2004年) によれば、もらってありがたくないものを「返上」するという言い方は「新しい用法である」 (p.18) とあります。
もし混交説が正しいならば、「汚名返上」「名誉挽回」が一般化した後に「汚名挽回」が使われ出したはずです。「汚名返上・名誉挽回 混交説」は、再考の余地があるでしょう。