「忖度 (そんたく) 」の新用法の歴史について
今年を代表する言葉を選ぶ「今年の新語 2017」(三省堂主催) で、「忖度 (そんたく) 」が大賞に選ばれました。「忖度」そのものは古くからある言葉です。しかし、本来「相手の心中を推測する」意味だったものが、近年になって「 (上位者に) 配慮・迎合する」という意味が付加され、文法的にも用法が変わりました。こうした言語的変化が、大賞の選考理由となりました (参照) 。
この言い方は、一体いつごろから現れ、定着したのでしょうか。今回はその来歴を追ってみることにしました。
過去の用例
配慮・迎合の意味を含んでいると思われる「忖度」の用例を採集してみました。そのうちのいくつかを年代順に並べてみます。
1908年
若し服從義務と云ふことを誤解して御無理御尤でやるものは誠實な眞面目の役人ではないと信じて居ります、然るに此ことを忘れて、太甚しきに至ると云ふと漫りに上官の意中を忖度して其意に迎合することに汲々たるものもあるかも知れぬ、是等は全く下僚たる責任を沒却するのみならず陋劣なる根性であると思ひます、
(上山満之進「大林區署長會議に於ける演述 明治四十一年十一月二日 山林局長として」『上山満之進』[下巻] 成武堂 p.7) [1941年刊] *1
1931年
自分の生活を極度に節約壓縮して、先生のきもちを巧みに忖度し、うまくさきまはりして愛くるしい笑顔をし、忠實な犬となりきれば學校優等生といふものになる。
(小砂丘忠義「優等生とジヨン・デユーイ」『綴方生活』第3巻 第1号 鄕土社 p.85)
1937年
これ〔この年に大阪の中等学校入試問題が日本歴史1科目だけになったこと〕は上の方の直接の意志ではないのではないか、と。上の方の直接の意志を忖度して、それに脅え且つおべつかる小吏根性が、こんな淺薄な國粹主義で、兒童の頭を混亂させるのではないか、と。
1952年
われわれが日本科学者の名誉のために、戦爭を防止するための積極的な努力、どんなささやかな努力さえも怠るまいとする提案に対しても、それが政治的であるという、むしろ極めて権力者の意志を忖度した政治的発言によつて封じられようとしている。
〔1951年12月24日声明〕
(江上不二夫・上原專祿・長田新・務台理作・福島要一「科学者の再軍備反対聲明」『社会主義』第9号 社会主義協会 p.11) *3
※「極めて…忖度した」の言い方に新奇性が感じられます。
1958年
〔前略〕〔国分寺町の合併協議は〕遅々として進まぬという状況になつており、これには県としても迷つているというのが実情なのです。しかし、できるだけ試案としてできた案でやつてくれという呼びかけはやつております。あえて今までの案に県が忖度を加えて、これはまずいというような考えは持つておりません。
〔栃木県新市長村建設促進審議会会長・木村小金吾氏の発言〕
(「昭和三十一年第二回栃木県新市町村建設促進審議会会議録」『栃木県町村合併誌』第5巻 栃木県 p.100) *4
※「忖度を加えて」は「 (誰かの意向を勘案した上で) 試案に修正を加えて」という意味でしょうか。今ひとつ文脈が読み取れないのですが、「忖度を加える」という表現が興味深かったので取り上げました。
1964年
わが国の一部には、戦時中の軍部の意向とか、あるいは占領軍統治時代のGHQの意向とかというものを、一歩先回りして忖度 (そんたく) し、これを更に上回るような忠勤ぶりを競うという、まことに醜悪な奴隷 (どれい) 根性が見られたのであるが、今日に至っても依然として同じような現象が見られるのは、何とも奇怪なことである。
(田中美知太郎「論壇時評」『読売新聞』1964年6月22日付 夕刊 9面)
※「一歩先回りして忖度 (する) 」の言い方から「他を出し抜いて上位者の意に沿う行動をとる」という意味合いが感じ取れます。
1966年
つぎにまた、〔教科書の〕検定者側の不合格理由及び修正指示が実質的には口頭でなされ、存在及び内容の明確性を欠いていることも問題である。ことに、不合格理由は例示だとされることにより、他にも欠陥は多数あるのだということがにおわされ、申請者としては、権力の意向をつとめて忖度し、不必要に広くこれに迎合することを余儀なくされる。*5
1970年
〔前略〕稟議書は起案者にとって無条件に承認決裁を仰ぐことが至上の目的となる〔中略〕。したがって時と場合によっては,起案者が決裁者におもねるような立案をしかねないのである。
もちろん,上位者の考え方を忖度する配慮は,補佐する者の当然のつとめであるが,おもねり的な忖度がまずはたらくということになっては問題である。
(鈴木初郎「第15章 意思決定の今日的条件」『日本経営の現代化』白桃書房 p.326)
※最近よく耳にする「忖度が働く」という言い方が使われていました。
1979年
責任ある地位に就いたからといって、意見を言う段階では上役の意向など
〔和光証券社長 齋藤伸雄氏談〕
1987年
内橋 トップが無責任になっていく一つの大きな背景を成しているのは「忖度社会」です。忖度社会というのは、トップが言葉に出して明言しない。アーとか、ウーとか、エーとか言うだけです。そうすると、それを解釈する解釈学が盛んになってくるわけです。結局どう解釈するかという解釈の能力を〔部下の間で〕競うことになり、その後づけが行われる。
こうして用例を見てみると、配慮や迎合の意味を含む「忖度」は、戦前から継続的に使われていたことが分かります。ただ、この結果からだけでは使用頻度 (あるいは伝統的な用法との比率) までは分かりませんし、当時の人たちがはたして「〈忖度〉は、配慮や迎合の意味を込めて使うべき言葉である」という認識を持っていたのかも不明です。上記の用例は、本来の意味の「忖度」が、たまたま特殊な文脈で使われただけかもしれないからです。
そこで次に、「忖度」という言葉そのものについて言及している文章や、辞書の記述を取り上げ、新用法がいつ頃定着したのかを考えてみることにします。
「忖度」について言及した文章
昭和の終わりから平成にかけて、「忖度」の用法について書かれた文章が3つ見つかりました。
1983年
余談子は、この言葉〔「忖度」〕が大好きだ。あまりにも日本的で、日本人ならではの味わいと心情にぴったりだと常に思っている。また、この言葉こそ「民主主義」といわれるものの日本版ではないか、と。
相手の立場を大切にし、その立場に立って考えること。これは人間としての尊厳を最大限にたっとぶことを態度で示すことである。
1988年
人の気持ちを「忖度」するというのも、殺伐とした現代社会では本来の意味から離れて、悪い意味に使われることもあるようです。
〔中略〕
もともとは「他人のことを心配し真心から」忖度したものですが、どうも現在では「おせっかいな心配」という意味にも使われているようです。
(日本語研究会『日本語に強くなる本 あなたの日本語を美しく磨く』評伝社 p.156)
1990年
当用漢字にない文字をつかってもうしわけないが、
(加藤秀俊『人生にとって組織とはなにか』中央公論社 p.143)
※この文章の後に、「忖度」の具体例として、稟議書作成のケース (上述の鈴木初郎氏の文章と同様の内容) などが挙げられていました。
2018年1月2日追記:
このくだりは、ヤシロタケツグさんのブログで既に取り上げられていました。
「忖度」は本来「心中を推測する」以上の意味を持っていませんでしたが、この頃までには、「相手に配慮する」という意味、あるいはさらに度を越して「相手に合わせて行動する・迎合する」という意味に解釈する人たちが出てきたようです。
なお、この3つの資料だけを見ると、昭和時代に「配慮・思いやり」の用法がメインだったものが、平成に変わった頃に「迎合・おもねり・へつらい」の言い方に変化したように読めますが、迎合的用法は昭和にも存在するので、もう少し資料を集めないことには実際のところは分かりません。
辞書の記述
最近の辞書のなかには「忖度」の用法について「上位者の気持ちを特に論拠もなくあれこれ想像する感じが強い」*8 「人の心を思いやる」*9 「おしはかって相手に配慮すること」*10 などと解説しているものがあります。これらは新用法について言及したものでしょう。同様の解説は、さらに古い辞書にも載っていました。
1985年
忖度そんたく〔名・スル動サ変〕他人の心や気持ちを推し測って考えること。〈推察〉の意味に近いが、〈推察〉が、ある根拠に基づいて相手の気持ちを思い測る場合を言うのに対して、この語は、下の者が上の者の気持ちを、あれこれ推し測る場合に使う。*11
1998年
※忖度 (そんたく) 相手の気持ちを思いやること。
(『日本語に強くなる 難読語辞典』愛育社 p.179)
1980~1990年代には、新用法が既に定着しつつあったことが分かります。ただ、こうした説明をしている辞書は過去にも現在にも少ししかなく、大半は「他人の気持をおしはかること」(『岩波国語辞典』第7版新版) などとしか書いてありません。意味変化がなかなか気付かれなかったのは、世間一般での「忖度」の使用頻度そのものが低かったせいかもしれません。
まとめ
過去の用例を調べた結果、配慮や迎合の意味を含んだ「忖度」は、戦前から継続的に使われていたことが分かりました。また、1980年代には辞書にもこの新用法が解説されるようになり、少なくともこの頃までには、そこそこ普及していたと言えます。
とはいえ、やはり「忖度」は「今年の新語」に選ばれるのにふさわしい言葉だったと思います。この言葉は実際、最近になって殊に注目されだしたからです。また、「今年の新語」選考委員のご指摘*12 にもあったように、近年文法的変化が生じている点も、新語たる所以になるでしょう。例えば、最近では「スポンサーに忖度する」のように「(人・組織)『に』忖度する」という言い方がよく聞かれるようになりました。ここまで文型が変化すると、「忖度」を「推測」の意味とするのには無理があり、「相手の意に沿った行動をとる」などの意味に解釈せざるを得ません。
もともと日常であまり使われることがなかった「忖度」という言葉ですが、流行語的な形で急速に広まったことで、今後は本来の用法よりも新用法のほうが一般的な言い方になっていくのかもしれません。
補記
記事をほとんど書き終えた段階で、次のような面白い用例を見つけました。19世紀末に発表された文学作品に載っていたものです。「忖度」に「おもひやり (思いやり) 」の振り仮名が付いています。
「忖度」に配慮の意味を込めようとする傾向は、案外古くからあったのかもしれません。
*1:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1875259/18 (国立国会図書館デジタルコレクションより。国立国会図書館・図書館送信参加館内限定公開。)
*2:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3197686/86 (国立国会図書館デジタルコレクションより。国立国会図書館内限定公開。)
*3:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1415568/7 (国立国会図書館デジタルコレクションより。国立国会図書館内限定公開。)
*4:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2990188/58 (国立国会図書館デジタルコレクションより。国立国会図書館・図書館送信参加館内限定公開。)
*5:文に付された注釈番号は省略。
*6:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6033699/13 (国立国会図書館デジタルコレクションより。国立国会図書館内限定公開。)
*7:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2271339/50 (国立国会図書館デジタルコレクションより。国立国会図書館・図書館送信参加館内限定公開。)
*8:『日本語 語感の辞典』初版 岩波書店 2010年 p.612
*9:『全訳 漢辞海』第4版 三省堂 2017年 p.518
*10:デジタル大辞泉 (小学館・2017年12月30日現在)
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/132075/meaning/m0u/
*11:原文では、「そんたく」の振り仮名部分は割注式に2行で表示。
*12:選考委員が注目された文法的変化は「忖度が働く」などの「〈忖度〉を主語にしたフレーズ」でした (参照) 。そして、この言い方の特異性を、例文を示しながら次のように解説されています。
〔「事務所に対する忖度が働いている」の〕「忖度」を従来どおり「推測」と解釈すると、「事務所に対する推測が働いている」などとなり、意味が通じません。
私はこのくだりが把握できないでいます。「事務所に対する忖度が働いている」という文は「事務所『に』忖度すること」について述べられており、「相手に作用を及ぼす表現」として「忖度」が使われている点に新奇性があるわけです。「忖度」が主語になっていることは、語義が変化した主因ではないと思うのですが、いかがでしょうか。
*13:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/885255/24 (国立国会図書館デジタルコレクションより。インターネット公開。)