メモ 2013.10.10~

「誤った日本語」について調べてみます。

1-1-3「的を得る」の用例(江戸時代~1940年代)

前々回・前回の記事の続きです。 江戸時代から1940年代までの「的を得る」の用例を挙げていきます。

※用例・文献の引用方法について

1946年

源氏物語』は小説を本領としつゝ、歌謡、抒情詩、叙事詩、劇詩等あらゆる方面の風味を摂取し、活用し添加したものである。その人情の曲折を詠み破った優れた技倆は、物語の中に挿入された約八百首の短歌が、その方面の風味に於て、人麿・赤人より、業平・遍照・貫之・躬恒、俊成・西行・定家等に至るまでの何人も及ばぬのを見ても知られる。あらゆる古歌謡、古名句をば、皆その的を得させつゝ活用しているのを見ても知られる。

(五十嵐力「昭和源氏奥入」)
 [『源氏物語と文芸科学 自叙伝的に』教育社 1974年 所収  p.4 7行目]

※「昭和源氏奥入」は未発表論文です。同論文は、『源氏物語と文芸科学 自叙伝的に』には、新たに活字を組んだ上で収録されているようなので、教育社による編集が加わっている可能性があります。

 

1940年

そして人は、其の常識化せる知識から、彼の作品に對して、たとへ漠然とした形に於てであらうとも、斯うもあるべきとかとの豫見をそれ/″\に抱いてゐるであらう。しかも其の豫見は、前述の如き意味の下に、恐らくほゞ的を得てゐるに違ひないのである。
〔濁点つきの「くの字点」を「/″\」で代用しました〕

(荻野淸「去來」『国文学 解釈と鑑賞』第5巻 第3号 至文堂 p.50 上段最終行)
※2016年6月10日追記:「日国友の会」に投稿済 (こちら)

※同ページに「的外れ」の用例あり。 

 

1937年

支那の宣傳は實に的を得て居る。

(村上雄策「何故廢娼戰が必要か」『廓清』第27巻 第10号 廓清会本部 p.13 下段 本文5行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1470098/9
 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
※2016年6月10日追記:「日国友の会」に投稿済 (こちら)

※同ページに「日本の宣傳は兎角的を外れて居る。」という記述あり。
 

1936年

然るに、二夫に三夫に見えるも之を耻とせず、板額のごとく敵人に嫁いで、悪聲をも聞かざる當時における常盤を、その進退を以て後世より貞婦なりといひ、または貞婦にあらずといふのは、何れもよく批評の的を得たるものではない。

(辻善之助 他 [監] 『類聚伝記大日本史』第15巻 雄山閣 p.116 下段1行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257670/65 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
※2016年6月10日追記:「日国友の会」に投稿済 (こちら)

 

1934年

斯樣に三說あるけれども、之を經文と對註とに照す時は、共に正鵠を得たものでないことが容易に領解される。三者の中で最後のf:id:kumiyama-a:20130724223832j:plain字は、恐らく賴瑜師 (1226―1304A.D.) の說に基いて、現代にまで傳へられたものと思はれるが、これは其の體文は的を得て居るけれども、摩多は瑜師の正說をそのまゝ繼承してゐるとは云ひない。
〔最後の「云ひない」は「云ひ得ない」または「云へない」の誤植でしょうか〕

(龜井宗忠「唵僕欠の梵字に就て」『密教論叢』第4号 大正大学真言学研究室 p.86 3行目)

※上記論文は、1976年刊行の第一書房による復刻版で確認しました。

※論旨…《密教真言「唵・僕・欠」のうち、2番目の「僕」の梵字表記については主に三説あるが、いずれも正しいものとは言えない。》 

※「的を得」が使われる直前に、「正鵠を得たものでないことが」という表現が出てきています。「正鵠を得」を繰り返し使うのを避けるために「的を得」を使ったようにもみえます。

 

1748年

がった
螽斯 ○京云はた/\ ○曰螽の類甚多し。我国先輩華名に訳す多くは其的を得す。
〔「くの字点」を「/\」で代用しました〕

(山本格安『尾張方言』)
[『名古屋叢書三編』第15巻 名古屋市教育委員会 1986年 所収 p.56 下段1行目]
※2016年6月10日追記:「日国友の会」に投稿済 (こちら)

※江戸時代の方言集に書かれた、「がった」 (キリギリス? イナゴ?) についての解説文です。「的を得」の部分は、「〈がった〉が漢語にされる際、似たような虫が何種類もいたため、的外れな語があてられることが多かった」という意味なのでしょうか。

※『名古屋叢書三編』収録の『尾張方言』は、研究者によって筆写されたものを底本として、編集されたものです。

 

以上、3回にわたり「的を得る」の古い用例を見てきました。1950~1960年代までは、比較的まとまった数の用例が集まりました。1940年代以前になると採集が困難になってきましたが、存在は確認できました。


2013年11月6日追記:

上述の山本格安『尾張方言』 (1748年) の内容を自筆稿本 (西尾市岩瀬文庫蔵) で確認したところ、下の画像のようになっていました。確かに「的を得す」と書いてあるようです (「得」のくずし字については、こちらをご参照ください) 。

※画像は、『近世方言辞書』第3輯 (港の人 2000年 p.288) からスキャニング・トリミングをしたものです。当ブログへの転載にあたっては、西尾市岩瀬文庫および港の人社よりご承諾をいただきました。厚く御礼を申し上げます。

この画像は、他所に無断転載しないでください。

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久御山