「目上に〈了解〉は失礼」説の発祥について
最近、「目上に『了解しました』を使うのは失礼なので避けるべきである」という言説 (以下、「了解」失礼説) に対して、「2009年頃に、とあるフリーライターが創作した偽マナーである」という意見をネット上でよく見るようになりました。
「了解」失礼説が広まったのは、実際ここ10年前後のことなのかもしれません。しかし、説そのものは昭和の時代から存在します。また、この説はフリーライターやマナー講師だけが唱えているものではなく、日本語の専門家のなかにも同調している方々がいらっしゃいます。今回の記事では、そうした情報をご紹介します。なお、当記事は「了解」失礼説の適否について結論を出すことを目的とするものではありません。
昭和時代からあった「了解」失礼説
1970年代から1980年代にかけて書かれた、言葉に関するマナー本をいくつか見てみたところ、
- 相手の要望に応えるときには、「承知しました」「かしこまりました」と言うのが好ましい
- 「わかりました」を目上に対して使うのは適切ではない
といった記述が複数見られました。そのなかに一つ、「了解」について触れているものがありました。言語心理学者の伊吹一氏が著書で、「わかりました」という言葉は「了解した」の意味しか持っていないので感心しない、と書いています。
※用例・文献の引用方法について
1979年
「わかりました」は感心しない言い方です。「ます」という丁寧語は付いているものの、「わかる」には、全く敬意が含まれていません。これは、ただ、「了解した」という意味を持っているに過ぎないことばです。〔中略〕これに対しては、「かしこまりました」「承知致しました」を用いるべきです。
(伊吹一『『ことば』のしつけ』日本書籍 p.148)
そして昭和の終わりになると、とある日本語関連の本に「了解いたしました」という言葉の「誤り」を「正しく」訂正させる練習問題が載るようになります (解答は「承知いたしました」) 。
1988年
㉗はいはい、了解いたしました。〈取引先から用事をことづかる〉〔p.41 問題編〕
㉗はい、承知いたしました (=かしこまりました) 。〔p.42 解答編〕
(日本語研究会『日本語に強くなる本 あなたの日本語を美しく磨く』評伝社)
確かなことはわかりませんが、「言葉のご意見番」たちの間に「わかりました」を不適切とする考え方が浸透した後、それが素地となって「了解」失礼説が誕生したのかもしれません。もう少し資料を集めて経緯を確かめたいところです。
平成以降の「了解」失礼説
日本語によるビジネスコミュニケーション能力を測るテスト「BJTビジネス日本語能力テスト」の問題集に、「了解しました」の使い方について書かれている箇所がありました 。
2007年
〈解法〉目上の人に「わかりました」と言う時、〔「承知しました」の〕ほかによく使われる表現として「かしこまりました」がある。「了解しました」は対等の立場の時に使う。
(宮崎道子 [監]・瀬川由美 [著]『BJTビジネス日本語能力テスト読解実力養成問題集』スリーエーネットワーク p.72)
※Googleブックスで当該ページを見ることができます。
※2022年2月2日追記:Googleブックスの当該ページ (p.72) が見られなくなっていました 。ただし、上記解説文の対象となっている、元の出題文 (p.16) は現在も閲覧可能です (こちら) 。
2007年の時点で、公共機関が主催していた検定 *1の問題集に「了解・承知」の使い分けについての記述があったということは、この頃には既に「了解」失礼説がある程度普及していたといえるのではないでしょうか。
※2018年4月15日追記:
デジタルハリウッド社がネット公開してる『ビジネスメールの書き方講座』に、「了解」「承知」の使い分けについての解説がありました。このマニュアルの発行年は2004年です (こちらのリンク先 のPDFファイルをご覧ください) 。※2020年4月5日記:リンク先が消失していました。Internet Archive のキャッシュへのリンクはこちらです。
2004年
アポイントや仕事の依頼を受けて、許諾を示す場面は数多くあります。その際、相手によって言葉を使い分けると、コミュニケーションがスムーズになります。
・社内や同僚 「わかりました」、「了解しました」
・社外や目上の方 「かしこまりました」、「承知しました」
(『ビジネスメールの書き方講座』デジタルハリウッド p.39)
専門家の見解
「了解」失礼説は、マナー講師だけではなく、日本語の専門家の間でも一部唱えられています。日本語学者で早稲田大学名誉教授の中村明先生、同じく日本語学者で国立国語研究所教授・一橋大学大学院連携教授の石黒圭先生、文献学者で大東文化大学准教授の山口謠司先生の著書で「了解」失礼説が取り上げられています。*2
2013年
〔「わかりました」と〕同じように使われている「了解しました」になると、「了解、了解」という言い方をよくすることからも推測されるように、「言ったことは、わかりましたよ」ぐらいのニュアンスで、それ以上頼まれたことを依頼どおりに確実に「やる」とまでは言っていない感じがもっと強い。相手の言うことはちゃんとわかったけれども、承諾というところまでは表明していない感じなのだ。
〔中略〕「…いたしました」をつけて「了解いたしました」にしても、丁寧にはなるが内容的には依然として理解の先までいっていない感じで、やはり適切な応対とは必ずしも言えない。
(中村明『日本語の「語感」練習帖』PHP研究所 p.188)
2016年
⑫「わかる」は謙譲語が「かしこまる」「承知する」です。「了解する」が癖になっている人もいますが、多少失礼に響きます。「了解しました」よりも、「かしこまりました」「承知しました」がおすすめです。
(石黒圭『語彙力を鍛える 量と質を高めるトレーニング』光文社 p.225)
2017年
「わかりました」「了解しました」は、「あなたの言っていることを理解しました」という意味になるので、社会人の表現としてはあまりいいとは言えないのです。
(山口謠司『語彙力がないまま社会人になってしまった人へ』ワニブックス p.35)
それぞれ、「適切な応対とは必ずしも言えない」「多少失礼に響きます」「あまりいいとは言えない」という書き方をしているところから、「了解」失礼説としては、やや控えめな主張のように感じられます。中村先生も、「 ただし、頼まれごとではない、仕事などでの確認事項の応答に関して使うぶんには、「わかりました」「了解しました」で一向に問題ない。」(上掲書同頁) と補足されています。
お三方のなかで特に興味深かったのは、中村先生の「「…いたしました」をつけて「了解いたしました」にしても、〔略〕やはり適切な応対とは必ずしも言えない。」というご指摘です。これに関しては、『三省堂国語辞典』編纂者の飯間浩明先生が「「了解いたしました」と「いたしました」が入っていれば、敬語としては十分。」と、全く正反対の見解を示されています (参照ツイート) 。日本語研究のプロの間でも、言葉の受け止め方に大きな違いがあるようです。
最後に
私は、「了解」失礼説について現段階では本格的に調査をしていません。しかし、冒頭で述べたフリーライターの方が、最近ネット上でしばしば不当に非難を受けている現状に鑑み、記事の公開を急ぐことにしました 。
「了解」失礼説の適否について議論が深まっていくのはよいことだとは思いますが、何はともあれ、事実に基づいた情報に即して話を進めるべきでしょう。