メモ 2013.10.10~

「誤った日本語」について調べてみます。

1-1-4「的を得る」の用例(有識者によるもの)

次に、国語学者や文学博士など、有識者が使った「的を得る」の用例を挙げてみます。当然ですが、なかには誤植や編集者による書き換えもあるかもしれません。

※用例・文献の引用方法について

1967年

〔前略〕そこだけに着目するならば、西山氏の立論は確かに的を得ていると言えるであろう。

(安川定男『有島武郎論』明治書院 p.279 17行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1348249/148 (国立国会図書館内限定公開)
国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より

 

1968年

自然が人間を追いつめる存在であり単なる背景ではないという指摘 (註12) は、その意味ではまことに的を得たものであるが、しからば自然と人間とが、なぜ戦う関係として把握されているのかという問に対する答としては、このアダム像にみられる自然と抗争する者のイメージが、有島の対自然観――人間観の中核をなしているということができよう。

(宮野光男「有島武郎研究 ―教会退会後の自然感をめぐって (二) ―」『近代文学試論』第5号 広島大学近代文学研究会 p.7 上段15行目)
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00015652 (リンク先にPDFファイルあり)
広島大学 学術情報リポジトリ (http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/portal/index.html) より

 

1970年

中位の人が私の詩を読めば、思考を重ねたあげく、うん、なかなか(まと)を得ていると言う。

(入谷仙介・松村昂『禅の語録』第13巻 [寒山詩] 筑摩書房 p.201)

※入谷仙介・松村昂 両先生による、『寒山詩』の通釈の一部分です。

※原文は「中庸讀我詩 思量云甚要 (中庸(ちゅうよう) 我が詩を読まば 思量(しりょう)して (はなは)(よう)ありと云う) 」となっていました。

 

1973年

そうした場合における宣長の批評と指導は、さすがに的を得ており、宣長の『源氏物語』の表現に對する柔軟で適確な理解力を、簡單な評言の中から窺うことができる。

(大久保正「解題」『本居宣長全集』第18巻 筑摩書房 p.56 1行目)

 

1979年

それは、一九には実際上方生活の体験があり、執筆のための実地踏査も試みているが、事実は越谷吾山の『物類称呼』など先行書を利用し、耳学問的知識に基づいていかにも本当らしく仕立てあげたというのがおそらく的を得ていると思われるからである。

(鈴木丹士郎十返舎一九」『国語史辞典』 [林巨樹・池上秋彦 編] 東京堂出版 p.176 下段15行目)

 

1981年

 この吉士(きしの)磐金(いわかね)は翌〔推古〕六年(五九八)四月に(かささぎ)をもって帰ってきた。〔中略〕
 この時はじめて日本に(かささぎ)がきたのであろう。これははなはだ(めずら)しい鳥で、しかも縁起(えんぎ)のよい鳥である。あるいは、もうその時、日本の朝廷(ちょうてい)には七夕(たなばた)趣味(しゅみ)があり、この鳥が七夕(たなばた)と関係のあるものであることを知り、ひそかにそれを見たいと思っていた人があったのかもしれない。とすれば聖徳太子が、その人であろうか、それはとにかくこれはまことに(まと)を得(おく)り物である。

(梅原猛聖徳太子Ⅱ 憲法十七条』小学館 p.119 本文5行目)

 

1982年

少なくとも,言葉の仕組みという点に限るなら,O氏の抗議は必ずしも的を得たものではない,ということになるわけである。

(原口庄輔『ことばの文化』こびあん書房 p.164 12行目)

 

1982年

以上のように,「的確に」とは通例,的を得たように,その場の話や文脈に沿って確実に,というTPO性が話し方や文章理解で要求されている。

(村石昭三「 話すこと・聞くことの能力の評価 (1) 正しく聞き,的確に答えることの評価・1 概説」『表現事項事典』全教図 p.294 右段9行目)

  

1983年

それはとにかく、荀子はこの論以外でもしばしば、諸家の思想を批判し、ここに見える以外の申不害・老子荘子などにも、的を得た短評を加えています。

(赤塚忠「中国古代思想史」)
[『中国古代思想史研究』研文社 1987年 所収  p.388 9行目]

※章の最後に「長時間お聞きいただきましたことを感謝します。」とあるので、講演を文章化したものかもしれません。

 

1983年

これは極めて鋭い洞察を含む見解であり、高く評価すべき意見であって、ただ時運の要求に応じて漢字を減らしたりふやしたりしている文部省に対し、適切な、的を得た批判であった。

(大野晋「国語改革の歴史 (戦前) 」『日本語の世界16 国語改革を批判する』 [丸谷才一編] 中央公論社 p.64 2行目)

※文庫版の『国語改革を批判する』 (中公文庫 1999年 p.75) でも「的を得」のままになっています。

大野晋『日本語と私』 (朝日新聞社 1999年 p.207 5行目) には「その質疑は的を射ていた。」という記述があります。

 

1985年

原著から得た知識、理解出来たと思ったことは、何をおいても実際に外国に出向いた上で、そこの社会を深く観察し、人々から直接話を聞き、果して自分の理解が的を得ているかどうかを、様々な方法を使って、いろいろな面からチェックしなければ、本当は安心出来ないものである。

(鈴木孝夫『武器としてのことば 茶の間の国際情報学』新潮社  p.285 15行目) [1990年 第10刷]

岩波書店版の『武器としてのことば』 (鈴木孝夫著作集4 2000年 p.286) でも「的を得」のままになっています。

鈴木孝夫『あなたは英語で戦えますか』 (冨山房インターナショナル 2011年) のp.71 (横組みの頁) には、「ことばは多くの人々の使用を経て、的を射たものになっていくのでしょう。」という記述があります。

 

1986年

しかし、江戸時代をよりふかく検討するならば、この種の解釈がけっして的をえたものでないことがわかるのです。〔p.86 5行目〕

わたしの話を注意ぶかくおききくださったみなさん方には、このような解釈がいかに的をえないものであるか、よくおわかりいただけたとおもいます。〔p.129 2行目〕

(梅棹忠夫『日本とは何か 近代日本文明の形成と発展』日本放送出版協会) [1993年 第15刷]

※p.129の用例は、国広哲弥日本語誤用・慣用小辞典』 (講談社 1991年 p.180) で取り上げられていました (当ブログ 4-1-2 参照) 。

※『日本とは何か』は、その後『梅棹忠夫著作集』第7巻 (中央公論社 1990年) に収められましたが、そこでは2例とも「的を射」に置き換えられていました (p.532、p.564) 。

 

1986年

しかも、『古譚』の二篇について、〈理智的な作品〉とか〈気品があ〉って、〈悪ふざけでない面白さ〉があると見てとっている点は、的を得た評語であろう。

(木村一信中島敦論』双文社出版 p.227 8行目)

 

1987年

窪田の文芸味豊かな精細な評釈、武田の簡明にして的を得た評語、土屋の意表をつく大胆な作意の考察、三種三様まことに個性豊かである。

(小野寛「万葉集」『日本古典文学研究必携』第2版 学燈社 p.25 下段21行目)

 

1989年

〔表曆〕なぜ表と曆が一對の言葉として題目となっているかは、浦起龍の「表は世系、年月を以て行次と爲すが故に曆と曰う」という說明が的を得よう。

(西脇常記 [訳註] 『史通内篇』 東海大学出版会 p.148 9行目)

※西脇先生による注釈のなかでの一文です。

 

1990年

以上のことから,主題構文の構造としての (9) に対する西山 (1989) のクレームはいずれも的を得たものとは言えず, (9) および (8) は主題構文の統語構造としてはおおむね妥当なものと考えられる。

(柴谷方良「助詞の意味と機能について ―「は」と「が」を中心に―」『文法と意味の間 ―国広哲弥教授還暦退官記念論文集―』くろしお出版 p.297 6行目)

 

1993年

したがって〈台=胎〉は甲骨文や金文に対して、後人によりさまざまな解釈が加わったもので確定的な答えはなお未詳と思う。ただ、長女の説が意外に的を得ているのではあるまいか。

(杉本つとむ『漢字 女偏のルーツとドラマ』 東京書籍 p.91 3行目)

杉本つとむ杉本つとむ著作選集9 西欧文化受容の諸相』 (八坂書房 1999年 p.401 1行目) には、「あえて注釈を加える必要のないほど論理整然、まことに的を射た主張である。」という記述があります。

 

1994年

論文の筆者自身が、台湾のアウストロネシア系言語の優れた調査者であるので、その注意は的を得ており、このような論文はつい項目だけでかたくなりがちであるのに、この筆者は、次々と面白いエピソードをはさんで楽しく読ませる技術を心得ている。

(千野栄一言語学への開かれた扉』 三省堂 p.16 12行目)

千野栄一言語学の散歩』 (大修館書店 1975年 p.346) には、「〔前略〕この見解は的を射ているということができよう。」という記述があります。

 

1996年

〔前略〕ですから、私が目にしたままのことを答えたのです。さて、それが(まと)を得たものかどうかは存じませんが、ご報告いたしたく存じます」

(宇野精一『新釈漢文大系』第53巻 [孔子家語] 明治書院 p.161)

※『孔子家語』の通釈の一部です。

※「例言」 (凡例) によると、実際の訳者は尼子昭彦先生 (国立公文書館研究職) となっています。

※「(まと)を得たものかどうかは存じませんが」の箇所の原文は、「中否 ((いま)()たれるや(いな)やを()らず) 」となっていました。

 

1996年

その資料の発掘、発見を伝えるのは新聞の文化欄である。記者は伝えるだけだが、必ず解説者がつく。その解説者の多くは文科系統の大学教授である。記事の正こうを期するための――というより、権威づけるためなのだ。ところが、文化系統の大学教授にも専門外がある筈で、その解説が的を得ていない場合が少なくないのである。〔「文科系統」「文化系統」の不統一は原文のまま〕

(佐藤雀仙人『下総と一茶』崙書房出版 p.432 下段14行目)

※『下総と一茶』は雑誌の連載をまとめたものだと思われますが、同書には初出の情報が大まかにしか書いてありませんでした。したがって、上記の引用内容がいつごろ書かれたかは不明です。

※「正こうを期する」の部分が「正鵠」ではなく「正こう」となっているのは、難しい「鵠」の漢字を使うのを避けたためでしょうか。そうだとすると、「的を得ていない」の箇所も、同じ理由で「正鵠」を「的」に置き換えたのかもしれません。

 

1996年

これも単純なことのようでありますけれども、やっぱりひじょうに的を得た考えではないかと思います。

(谷沢永一野間清治の流儀」『書誌学的思考』和泉書院 p.243 16行目)

※野間教育研究所での講話 (1991年12月3日) を文章化したものです。

谷沢永一『疲れない生き方』 (PHP研究所 2007年 p.105 12行目) には、「また、適正という推察について、親や教師の観察が常に的を射ているとはかぎりません。」という記述があります。

 

1999年

このように,量化的変異の問題は叙実性とは無関係に起こりうるのであって,Bermanが主張した,叙実性と量化の多様性の間の相関関係は的を得たものではないようである。

(西垣内泰介『論理構造と文法理論 ―日英語のWH現象―』くろしお出版 p.81 13行目)

 

1999年

ここで示されていることは、アメリカ人は直線的な文章を書き、日本人は遠回しな文章を書くということである。このことは話し言葉のレベルでは的を得ているといえよう。

(本名信行「日本語の文体と英語の文体 ―言語使用の背景にある文化と社会―」『講座 日本語と日本語教育』第5巻 [日本語の文法・文体 (下) ] 明治書院 p.379)

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久御山