1-1-5「的を得る」の用例(その他)
「的を得る」の用例のなかで、年代は古いものの、「物事の核心を突く」という意味からは少し外れていると思われるものを挙げていきます。
(江戸時代)
曆應元年戊寅歲、始依明峯素哲和尙於大乘、便問、初心學徒、作麼生行履去。峯云、有古德一則公案、汝能見得。乃擧香嚴上樹之因緣。師工夫都不得其的、十二時中提撕去忘飮食。
〔訓読文〕
暦応元年戊寅の歳、始めて明峯素哲和尚を大乗に依り、便ち問う、「初心の学徒、作麼生か行履し去らん」と。峯云く、「古徳に一則の公案有り、汝、能く見得せよ」と。乃ち香厳上樹の因縁を挙す。師、工夫するも、都て其の的を得ず、十二時中、提撕し去りて飲食を忘る。
(無著道忠 [生1653-没1745] 「大梅拈華山圓通正法寺開山無底良韶和尚行業記」『諸師行録』二 )
※佐藤秀孝「無底良韶の伝記史料 ―『大梅拈華山圓通正法寺開山無底良韶和尚行業記』の訳注―」 (『駒沢大学禅研究所年報』第13・14合併号 駒沢大学禅研究所 2002年) のpp.148-149より引用しました。原文に付加された句読点および訓読文は佐藤先生によるものです。
※明峯素哲和尚から「香厳上樹」の公案を与えられた無底良韶が、食事をするのも忘れるほど苦心しながら、答えを出そうとしている場面のようです。「的を得ず」とは「公案の答えを得られず」という意味なのでしょうか。
1793年頃
善之按膽八樹子油阿蘭陀舶上ヨリ來ル之ヲホルトガルノ油ト云善之ガ父登甞テ阿蘭陀人パアルト云者ニ就テ之ヲ正シテソノ的ヲ得タリ蓋昔人此樹ノ
本邦ニ存スルコトヲ知ラズ
(田村西湖『豆州諸島物産図説』第5巻 国立国会図書館デジタルコレクション 67コマ目 右頁6行目) [1891年 写本]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555616/67 (国立国会図書館内限定公開)
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
※2016年6月10日追記:「日国友の会」に投稿済 (こちら)
この田村西湖の用例は、元々は下の文献から見つけました。こちらの方が読みやすいので、注記も含めて孫引きします。
義之按ずるに (義之といふのは西湖のことであります)
(白井光太郎「平賀源内に就いて」『平賀鳩渓翁略伝』 平賀源内先生顕彰会 1934年 p.10 13行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1235900/17 (国立国会図書館内限定公開)
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
※「 其的を得たり」とは、「 (これがホルトガルの油というものか、と) 理解した、合点した」という意味なのでしょうか。
1815-1827年
(曲亭馬琴 [滝沢馬琴] 『朝夷巡島記』博文館 p.569 4行目) [1908年 刊]
https://books.google.co.jp/books?id=BPWdHlsIb-UC&hl=ja&pg=PP631#v
※Googleブックス (https://books.google.co.jp/) より
異版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/877697/289 (p.532 13行目)
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
※2016年6月10日追記:「日国友の会」に投稿済 (こちら)
※「
1939年
……
(吉川英治「宮本武藏 [352] 」『朝日新聞』東京版 1939年2月19日付 夕刊 3面)
※朝日新聞社 記事データベース〈聞蔵 II ビジュアル〉より
※ 『宮本武蔵 (八) 』 (吉川英治歴史時代文庫 講談社 1990年) のp.18でも確認できます。
※「