1-5「正鵠」に「まと」の振り仮名がある用例
江戸時代の医学書『医戒』には、「正鵠」という漢字に「マト」のルビが振られている箇所があります。
1849年
又病者ヲ見ルヿ宜ク
(杉田成卿 [訳]『医戒』国立国会図書館デジタルコレクション6コマ目 右頁6行目) [1892年 刊]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/832952/6
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
この点について、文学博士の杉本つとむ先生は次のように述べられています。
かつては、「的の中心」と「的全体」とを厳密に区別する必要のない文脈では、「正鵠」と「的」が同義語として扱われることがあったのでしょう。
他にも例があるか、調べてみました。
1807-1811年
(曲亭馬琴 [滝沢馬琴]『椿説弓張月 鎮西八郎為朝外伝』春祥堂 p.850 5行目) [1917年 刊]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906697/435
※異版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991987/41 (国立国会図書館デジタルコレクション41コマ目 右頁 最終行) [1883年 刊]
※ともに国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
1814-1842年
(曲亭馬琴 [滝沢馬琴]『南総里見八犬伝』第6巻 有朋堂書店 p.306 最終行) [1926年 刊]
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1021218/159
※異版 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/879358/28 (p.610 1行目) [1886年 刊]
※ともに国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
1871年
蓋シ
(中村正直 [訳] 『西国立志編』国立国会図書館デジタルコレクション11コマ目 右頁5行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1080998/11
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
※この用例は、『日本国語大辞典』第2版 第7巻 (小学館 2001年) の「正鵠」の項に載っていました。
1885年
ナゼナレバ、
(山田清風『四書註解 鼇頭諺釈 中庸』国立国会図書館デジタルコレクション20コマ目 右頁)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/754098/20
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
(2016年1月27日 用例追加)
1892年
質的ハ
(城井寿章『荀子講義』上巻 博文館 p.12 3行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/753293/13
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
1940年
この話は無論、かなり原始的の觀念から來る淸明心を物語つてゐるのだが、しかし、この淸明心は、前に引用した孔子の言葉「正鵠に失すれば、反つてこれを其身に求」むる心的態度であつて、誰を恨むのでもなく、純眞の自己反省をするのである。弓を射る場合に正鵠 (まと) を射外したとき、弓箭の善惡や、弽の善惡を口實にすることは、心構への下等なことを物語るものであつて、決してその結果の惡かつたことを他に歸すべきものではない。
(竹内尉『日本士道』健文社 p.67 最終行)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1687106/41 (国立国会図書館内限定公開)
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
1967年
孔子は「射術は君子の行ないに似ている。矢を
(赤塚忠『新釈漢文大系』第2巻 [大学・中庸] 明治書院 p.234 15行目)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2966970/126 (国立国会図書館内限定公開)
※国立国会図書館デジタルコレクション (http://dl.ndl.go.jp/) より
※赤塚先生による、『中庸』の通釈の一部分です。
※駿台予備学校講師・中谷臣先生のサイト のなかで「ちなみに、明治書院の漢文大系『中庸』には正鵠に (まと) という読み仮名をあてています。」と書かれているのは、この文献を指しているのだと思います。
江戸時代から「正鵠」に「まと」の振り仮名があてられてきた事実は、「〈正鵠を得る〉から〈的を得る〉が生まれた」という説を裏付ける証左の一つにはなり得るでしょう。しかし、「正鵠を得る」というフレーズそのものに振り仮名がついて、「
上に挙げた「