メモ 2013.10.10~

「誤った日本語」について調べてみます。

第4章 有識者による見解  4-1-1「的を得る」について述べられた文献 (前編)

この章では、「的を得る」の正誤について述べられた文献や、この表現の使用実態を調査した資料などを見てみます。

まずは、「的を得る」について書かれた文献を年代順に見てみます。

 

「的を得る」はいつから注目されるようになったか

私が調べた限りでは、「的を得る」について初めて言及された文献は1969年のものです。このときすでに「〈的を射る〉と〈当を得る〉の混交」が発生の原因に挙げられています。

※用例・文献の引用方法について

1969年

また、意味の類似も混合をひき起こしやすい。「的を射た」と「当を得た」の「的」と「当」(めざすもの)とが交錯して、「的を得た」や「当を射た」を生じて、結構、使われている。

(「言葉は美しい コトバの競合脱線」『読売新聞』1969年8月22日付 朝刊 9面)

1960年代にはすでに「的を得る」の言い方がある程度広まっていたことが、この記事から分かります。

※この新聞記事については、下の追記もご覧ください。

 

1970年代の文献

1970年代に入り、「的を得る」は「正しい日本語」関連の本のなかで盛んに取り上げられ、「誤用の典型例」という評価が固まっていきます。これらの多くは、「的を得る」の発生原因を「〈的を射る〉と〈当を得る〉の混交」と分析しています。

1970年

その他「妙をつくす」と「要を得た」とから「妙を得た」が生じ、「的を射た」と「当を得た」とから「的を得た」や「当を射た」が生じて、結構、使われているという。
 これらは、いわゆる慣用句の解体とは異なるのであるが、慣用句の誤用ないしは慣用句の変異というべきものであろう。

(宇野義方「語法・慣用の無視」『月刊文法』第2巻 第9号 明治書院 p.52 下段15行目)

※上記引用箇所は、読売新聞「言葉は美しい」 (1969年) の記事を参照して書かれています。

 

1975年

 『週刊朝日』(五〇・二・二一) 一〇九ページに「公取委の非難はマトを得ていないと思います」とあるが、マトを得るとはどういうことか理解に苦しむ。

〔中略〕

 中には「あたる」という訓があり、的中はまとにあたることだが、的を射るとは矢が的中することに外ならない。この的を射ると大体同じ意味で、道理にかなうことを「(とう)を得る」と言うが、筆者は的と当とをとりちがえてしまったのではないか。
〔この項の筆者は土屋道雄先生〕

(福田恆存宇野精一・土屋道雄 [編著]『崩れゆく日本語』英潮社 p.52 上段2行目) [1977年重版]

 

1977年

〔前略〕「それは的を得てないよ」も、道理にかなう「当を得る」と「的を射る」の混用。

(竹井謙「月曜手帳 新サラリーマン」『毎日新聞』1977年7月11日付 朝刊 8面)

 

1978年

 これ〔「的を得た表現」〕も、「腹をくくる」と、同じパターンの間違いといえる。つまり、「的を射た表現」と「当を得た表現」とが、重複(ちょうふく)してしまったのである。

(大野透『日本語の勘どころ』祥伝社 p.15 12行目)

 

1978年

 〔「汚名をはらす」と〕同じような例に、「的を得た答弁」というのがある。
 ある質問に対し、適切な答えを述べることを「的をた答弁」という。矢が的の中央を射たことにたとえて言ったものである。また、一方、同じような意味に「当をた」という言い方があり、この二つが混淆したものである。
〔「射」と「得」への下線は、原本では傍点〕

(文化庁 [編]『「ことば」シリーズ9 言葉に関する問答集4』文化庁 p.35 下段11行目)

 「〈的を射る〉と〈当を得る〉の混交」という分析はその後も連綿と受け継がれ、現代では主流の考え方になっています。

このほかに、「方言の影響」と説明している文献もありました。明記はされていませんが、これは「〈イ〉(射) と〈エ〉(得) の 音の混交による誤用」という分析なのでしょう。

1973年

 語義や語形を誤って記憶しているもの、慣用に反した語の用法、自分勝手な造語、特殊な専門語や外国語・方言を説明ぬきで用いることなどは正しい伝達をさまたげる原因になる。
 ことばは、一度誤まって記憶してしまうと自分の使っていることばが誤用だと気づかないものである。
 〔誤用例①~⑤は省略〕
 ⑥ 志賀直哉の書く、男性的な、簡潔な的を得たような文が好きでたまらない。 (方言の影響による誤り)
〔「誤って」「誤まって」の不統一は原文のまま。傍線は原文による〕

(西田直敏・西田良子『現代日本語』白帝社 p.246 4行目) [1974年再版]

 

また、「的を つく (衝く) 」について触れらたものもありました。いずれの文献も誤用扱いになっていました。

1976年

 「つく」で思い出したが、先日「的を()いた」という表現を見たが、これも慣用句の乱れを示す一例であろう。『崩れゆく日本語』に誤用例として「的を得た」というのが出ていたが、この「的を衝いた」も「的を射た」とすべきであろう。「衝いた」を使うなら、「急所を衝いた」とすればいいのではないか。(福)

(福田恆存宇野精一・土屋道雄 他 [編著]『死にかけた日本語』英潮社 p.28 下段10行目)

 

1977年

 「実に的を得た答弁」「実に的をついた答弁」では、本来の字義からはずれた語用。正しくは的を射た、弓で的を射るの弓でが略された形。似たような表現があるので混同される。
 「当を得た」なら正しい。
〔「語用」の表記は原文のまま〕

(村石利夫『日本語の誤典』自由国民社 p.191 2段目)

ただ、「的をつく」は、国語学者や有名作家の使用例もありますし (当ブログ 1-9 の「的をつく」の欄を参照) 、辞書の解説文のなかで使われている例 (同 3-5 参照) もあるので、単純に誤用扱いにはできないでしょう。

 

上記の文献のうち、『崩れゆく日本語』は当時特に大きな反響を呼んだようです。同書の増版は20版を数え、読者からの葉書は5千通をこえたと、姉妹書『死にかけた日本語』のまえがき (p.3) にはあります。この本が、「的を得る」誤用説を広める礎になったのかもしれません。

 
1980年代の文献

「的を得る」と「正鵠を得る」の関連性について書かれた文献が2つありました。「的を得る」の正誤について、一方は「誤りではないという説もあります」、他方は「誤用ではなかろうか」と書かれており、見解が分かれています。

1985年

的を得た
「的を射た」「当を得た」が一般的には正しいのですが、「的」は「正鵠」のくだけた言い方で、小学館「国語大辞典」などには「正鵠を得る」 (=的をついている、核心をついている) とあるから「的を得た」も誤りではないという説もあります。

(読売新聞校閲部 [編]『正確でわかりやすい文章を書く手引』読売新聞社 p.80 上段2行目)

 

1987年

太田治子氏の対談の中に「純真な観察から出てくるだけに的を得ている場合が多い」 (『シグネーチャー』昭和62年2月号) とあるのは、活字に起こす時の誤りかも知れないが、正しくは「的を射る」である。この誤りも、最近割合に見聞するものであるが、恐らく「的を射る」と「正鵠を得る」との混交によって生じた誤用ではなかろうか。
〔傍線は原文による〕

(鈴木英夫「言葉の誤用 ―誤表現と誤解―」『国文法講座』第6巻 明治書院 p.90 17行目)

この見解の相違は、「的を」+「得る」の結びつきをどう見るかによって起きるのでしょう。「誤用」と判断する人たちは、
「〈的を得る〉では、句として意味を成さない」
「〈正鵠〉は〈物事の核心〉を意味するが、〈的〉にはそうした意味がないので、〈得る〉とは結び付けられない」
と考えているのかもしれません。また、「的を得る」が「正鵠を得る」に比べて歴史が浅いことも、容認がされにくい要因になっているのではないでしょうか。

1990年代以降の文献については、次の記事で述べます。


2015年3月2日追記:

上述の「言葉は美しい コトバの競合脱線」 (1969年) の筆者は、見坊豪紀先生 (『三省堂国語辞典』初代編集主幹) と判明しました。先生の著書『辞書と日本語』 (玉川大学出版部 1977年 p.71) に、「〔前略〕「読売新聞」の「言葉は美しい」欄は、当時私が担当していた。」と書かれていました。 

また、この新聞記事が書かれる2年前の1967年 に、見坊先生のコラム「ことばのくずかご」で、「的を得る」の用例が取り上げられていました (『言語生活』第191号 筑摩書房 p.46) 。

コラムでは「イとエの取り違え」の例として、『朝日ジャーナル』 (特別増刊1967年6月5日号) から採集された「石川教授が非常にマトを得た表現をしています。」という用例が引用されていました。

久御山